親子の絆
2007年~2009年
神様ありがとう
-
ママになりたいという思いを胸に、どんなに苦しい時も不安な時も負けずにがんばるプレマタニティの女性達。たとえ自分が原因でなくても、夫を支え励ましながらがんばる女性達。女というものは強いものです。
せいさんは8年という長い治療生活に終止符を打ちました。
今日赤ちゃんを確認できたのです。
高温期が続いている基礎体温表を見て、思わず私は震えてしまいました。
「やった!ついに妊娠だ」いったいどれくらい泣いただろう。院長・スタッフ・私は、せいさんと一緒に喜びました。
胎嚢(赤ちゃんのベット)と赤ちゃんが見え、心臓の拍動も見えたから、もう大丈夫。
しかし、せいさんの顔はくもっていました。
「もっともっと自分では喜べると思ってた。妊娠できたら、まず智先生に抱きついて泣きくずれると思った。なのに冷静な自分がいるの。流産、早産、奇形などの心配が次から次へと頭の中をめぐって。あんなに皆さんが喜んで下さったのに私は・・・」と。「そんなのあたりまえでしょ、せいさん!!」
そう言うと、彼女ははっとした顔で私を見つめました。
先の見えない治療に疲れていた時、友人の妊娠をうまく喜べなくて、そんな自分が嫌だと泣いたよね。妊娠できたらこんな治療の苦しみからも開放されるのではないかとも言ってたよね。妊娠反応が出るまでは、ストレスがさらに強くなり心臓が爆発しそうだったでしょ。ずっとがんばって、ずっとがまんしていたんだもの。妊娠すると、「いのち」の強さをあらためて感じませんか?
今日まであなたが生きてきたことに感謝し、自分の両親にも感謝の気持ちを感じることができるのも、この新しい「いのち」のおかげですね。
赤ちゃんのために、好きなコーヒーを控えたり、たくさん食べたいという欲望を抑えたり、安産のために運動をしたり、全てはこれから会える可愛い赤ちゃんのため。
そんなあなたをきっと生まれてくる赤ちゃんは誇りに思い、ありがとうという気持ちを伝えるために、元気に生まれてくるはずです。 だから大丈夫だよ。「もう、気持ちを楽にしていいのよ。がんばらなくていいのよ。」
そう伝えると、せいさんの顔は少しずつやわらかくなってきました。そして、「先生、これから友達に電話してみるね。この間はごめんねって。」
せいさんはきらきらと輝く笑顔で診療室を出ていきました。
2007年9月7日
変身したくて
-
今日ソフトマタニティビクスを終えて外来にもどったら、レッスンを受けて下さった原田さんが
「先生ってホントにパワフルですね。きもちのいい汗をかけました。」
とひまわりのような笑顔で語ってくれた。
今私は6月に出るたまごクラブの新しい本を書いているのだが、編集長からも 「驚異的な体力と笑顔」と言われる。
我が子からは「お母さんはおもろいヒトで、あめとむちで子育てをする」と。←4年生にもなると表現が大人だ。本当の私はどんな人間なんだろう。私はしみじみ思ったのである。
「そうだ、私っていつも変身したかったんだ」
幼稚園生の時は、将来の夢に本気で「外国人になりたい」と書いた。
小学1年生の時は歌手になりたくて、山口百恵ちゃんに自分はなりきっていた。
父親に医者になっても歌は患者さんに歌えるぞとだまされた。
次には芸能人(特に百恵ちゃん)の飼っているペットだけをみる獣医さんになりたいと思った。
へびがきたらどうする?と母親に脅され却下。東京の病院に行けば芸能人に会えるよとだまされた。
小学5年生には、美容師になりたいと確信した。なのに祖母は、病院の患者さんの髪を洗ったり、みつあみをしてあげることはできるよと。「家族み~んなで私を医者にしようと思ってたんですよ。。。。」と、医師になって1年目の夏、子宮癌で抗ガン剤治療をしている患者さんの数少ない髪の毛を本気で洗っている自分がいた。
「みつあみはできないけど、先生の夢をかなえてあげられたかしら?私の髪が肩までのびたら、先生絶対みつあみしてよね。絶対だよ。」
と言ってくれた半年後にそのかたは天国へと旅立った。医師になって本当によかったと思える毎日であるが、この仕事は体力がないとやっていけない。だから一生懸命食べて寝る。暇があれば寝る。
でもね。
不思議な事に、疲れた時の運動は、余計に疲れるような気がするが、これがまた気持ちいい。←ほとんど変態だ。インストラクターも変身願望からだった。産休中しかできないなと思い、産後3ヶ月で養成コースに飛び込んで行って、母乳をトイレで捨てながら、必死に踊ったっけ。
人が楽しそうにやっている事を見ると何でもやってみたくなってしまうのが私の癖だ。
でもおかげで医師としてだけでなく、幅広く患者様と楽しく時を過ごせるのだ。
皆さんの夢は何でしたか?実現しましたか?
私、やっぱり夢はあきらめないで外国人になろうかな!
男の人をふりまわすゴージャスな外国人。結婚は3回くらいしちゃってさ(笑)
2007年9月6日
あげはが生まれた
-
難産だったお産を終え、出血も多かったのでしばらく分娩室で休んでいた。
2時間後の夜9時30分に部屋にもどり、ほっとした。
そしたら佐久間先生(主治医の先生)がワインをもってきてくれて、みんなで乾杯したの。おいしかったー。(しかし傷口が爆発するように痛み失敗した!みんなは産直後お酒はやめといたほうがいいですよ)
そして佐久間先生は、智院長に感動してこういったの。
自分の身内にあんなに冷静になれるなんて、郡山先生はすごい!って。私もそう思った。
智院長は今までの経験のすべてを使い、あげはに試されているようだったとほっとして語っていたっけ。
夜11時に智院長は家に帰り薬局長(私の母です)は泊まって朝まで私の体の指圧をしてくれた。
興奮して眠れないんだよ。白々と夜が明けてきて、5時頃薬局長は寝ていたように思う。
私はあげはの出産直後のポラロイド写真をずーっと見ては、母親になる自分に気持ちの整理をさせたわ。どうしたいのか。
朝6時に智院長を起こした。
智院長は「ベットにあげはとママの写真をならべて3人で寝たよ」と言っていた。今じゃ考えられないようなピュアな言葉だと思いませんか?(笑)
次の日の朝10時にはじめて保育器からでて私の部屋に来ました。
それからずーっと24時間あげはと一緒に母子同室にしてもらいました。疲れるからやめろと色々言われたけど、私は決めたんです。
智院長も毎日飛んで来てくれました。毎日遅くまで、あげはを抱っこしてそして仮眠して、夜ご飯も食べて帰りました。
私とあげはは生後1週間で驚くほどに変わっていきました。
特に生後数日間は女性が母親になっていくための、そして、子どもがこの人は信頼できる人なんだと認識するための、自然から授かった、まさに凝縮された数日間だと思いました。
毎日授乳と抱っこの連続で、あげはと真っ正面から向き合い、濃厚な結びつきとなりました。
夜中も自分のベットの壁側に枕で溝に落ちないようにして、2人で寝て。
夜中になると、あげはは、じーっと見るんだよ。
何かを伝えてくれるようにつぶらな瞳で私をのぞく。
私も見る。あげはのふたつの瞳に自分がうつったとき、じわーっと母性が芽生えた気がした。
2007年9月5日