親子の絆
2007年~2009年
産む痛み
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だから私は、9年前に出産した時、分娩誘発をあえて望み、赤ちゃんが出てくるところを開く器具(ラミナリア、バルーン)を入れることも望んだ。
今までたくさんの妊婦さんにしてきたように、痛みを自分で感じることによって、思いやることのできる真の女医になりたかった。
なんとか子宮口も開いてきて、陣痛は誘導しているから規則的にくるのだけれど、なぜか分娩の進みが悪く、さらには先進部が頭ではなく「手」になってしまった。
経腟分娩にこだわり、手をひっぱって赤ちゃんを出せば、赤ちゃんの手の神経が麻痺し、手が不自由になるのが心配だ。
「帝王切開にしよう、オペの準備だ。」
と主治医の佐久間先生に告げられた。まな板の鯉とは言ったものだ。もう何もできない。言われるがままだった。
でも智院長は待ってくれた。きっと手が引っ込んで、頭から出てこられるはずだろうと。
智院長は、内診をしながら、自分の娘の手をさわり、握手したんだそうだ。
そしたら、奇跡がおこった!!あげはの手はするすると奥に引っ込んで、頭が先進部になったじゃないか。
下からうめるぞ、力むんだ!!!
何がなんだかわからないうちに、帝王切開の準備をみんながしてくれていたのに、私もはらをくくったのに、おまたから赤ちゃんが出てきた。
夜7時18分に無事生まれた。
あげはは2632gと小さかったのでその夜は保育器にはいることになった。
でもその前に白いお洋服を着て私のところへ来てくれた。
なんか子りすのようだった。くっくーっていうんだよ。羊水の匂いがしていっちょまえに口を動かして目をぎゅーっとつぶってた。
あげはもパパもママもみんながんばった。
最高の出産だった。その写真が3人でとった最初の写真。
難産だった初めての出産で智院長と私の夫婦の絆もぐーんと深まったと思う。
2007年9月4日
出産からはじまること
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赤ちゃんは子宮の中にいるときは24時間決して離れることはない。
母親が食事の用意をしているときも外出するときも母と子は一緒。
でも分娩を契機にはじめて一人になる。
一人ぼっちの赤ちゃんは新生児室で何時間も泣きつづける。母親のぬくもりを求めていても与えられるのは糖水や人工栄養だけ。
泣いても抱いてもらえない新生児室の赤ちゃんは、泣きつかれてねむったり、顔にひっかき傷をつくったり。
でも不思議と3時間ごとの対応でしか接しないと赤ちゃんは数日で慣れ、比較的規則的にしか泣かなくなるという。
もし大人が同じことをされたらどうだろう。赤ちゃんだからいいの?
いまの医療のなかでは母親は休みなさい、ゆっくりしなさいと大事にされるが、母子分離された子ども達の恐怖と不安な心の訴えは無視されている。
さらに退院後の育児に慣れない母親は、産後がそうだったように子どもが泣いても抱かない親が増えているようだ。悲しいことだよね。
退院してさらに厳しい試練に直面する。
抱き癖がつくのはよくないわ。
規則的に飲ませましょう。
飲ませたのにすぐ泣く。夜寝ない。
大人達の自己中心的な意見ばかりだ。
その言葉には子どもを思いやるような心や態度がまったく感じられず、否定され続ける子ども達の姿が想像できる。
子どもは側にいてくれた人から他人との接し方、生き方を学びその後の人生の土台、基礎にしていくと思う。
だもの、やさしさや人の気持ちを思いやるような気持ちを味わっていない子にどうして人の痛みが理解できようか。
「痛み」だから私は、9年前に出産した時、分娩誘発をあえて望み、赤ちゃんが出てくるところを開く器具(ラミナリア、バルーン)を入れることも望んだ。
今までたくさんの妊婦さんにしてきたように、痛みを自分で感じることによって、思いやることのできる真の女医になりたかったから。
2007年9月3日
親子の絆
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子どもの心の中に一体何がおこっているのかな。
最近のニュースをみると、子ども達の心がすさんでいるようだ。現在の育児環境には、子ども達の心の発達が考慮に入れてあるのだろうか。
これらの事件は一方的に大人の価値観を押しつけられた子ども達が、少しは子どもの心を理解して欲しいと訴えているように私は思う。
生直後から乳幼児期の育児環境を見る限り、子ども達の心を無視するような環境や育児観が当然のように社会に受け入れられていて、冷たくされた子ども達の心が冷えていくのは当然かもしれない。
いまの子ども達に起こっている問題。児童虐待、自殺、拒食症、登校拒否、家庭破壊。
これらの子ども達の訴えの根源は心の問題だ。そして、人の心と心でつくられる人間関係の基礎をつくる親と子のはじまりは周産期だと思う。
特に子どもに不慣れな若いママは専門家といわれる周産期に携わるスタッフの言葉を信じて母と子の関係を形成していく。
でも実際には出産後の環境をみると、子どもの立場、子どもの意見は無視され、母親のためあるいは医療者側のための環境に重点がおかれている。
子ども達の心の歪みは大人達の社会をまさに反映しているものであり、子ども達の命をかけた抵抗は心の豊かさを失った現在の大人社会に警笛を鳴らしているようだ。
私は、ずっとこの10年考えてきた。
ドクターであり、若い新米ママ(昔ね)であり、大人でもある。
全部の立場だった。
だからこの問題は自分の最大のテーマであり、この答えを自分なりにだせたなら、最高の心の財産になると思っていた。
その答えがやっと見えてきたんだ。
ちょうどその頃MBインストラクターの戸崎が、
「マタニティーの皆さんが楽しく妊婦生活を過ごせるような情報誌を目指してMB通信を作りたい」
と新年の決意表明をしてくれた。
私は、真面目で献身的な彼女のあつい気持ちに感動し、またエッセイを書きたくなった。
2007年8月20日