たまごクラブダイアリー
2001年
産婦人科の女医さん、助産婦さん、看護婦さん
お産を通じて感じたこと。それは私の人生の財産になりました
医療法人石塚産婦人科 郡山純子(29歳)
陣痛は、自分がどこかへ行ってしまうしんどさ
今まで、何百人ものお産に立ち会い、たくさんの妊婦さんと接してきました。自分は女性だから、妊婦さんの気持ちはわかっているつもりでしたが、実際妊娠してみるとなにもわかっていなかったなあと思いました。
長女あげはは、私がハードな仕事を続けていたためか、子宮内発育不全で、予定日を過ぎても、体重が2632gしかありませんでした。微弱陣痛のため、なかなかお産が進まず、バルーン(子宮口から風船を入れて、子宮口を開く医療処置)を使って誘導してもらうことに。
これは鼻の穴に五百円玉を無理やり押し込まれているような激しい痛みで、「妊婦さん達はこの痛みに耐えていたのね」と、そのしんどさを初めて知りました。
陣痛の合間に寝てしまう妊婦さんがいますが、なぜなんだろうと思っていました。
でも、自分がお産をしてみて理由がわかりました。体力が限界に近づくと、気を失ってしまうというか、自分がどこかへ行ってしまう感じなのです。私もまさにそんな感じでした。
「子どもも大切だが、母親も大切だ」
私は、東京都葛飾区にある佐久間医院で、お産をしましたが、当日は佐久間院長先生の御好意で、同じ産婦人科医である主人(勤務先は別の病院)にとりあげてもらえることになりました。
お産が進まず、体力が消耗しているため、「勝負をかけよう」と主人が言い、人工破膜することに。
するとなんとあげはの手が先に出てきてしまったのです。スタッフたちがざわつき始めました。ああ、帝王切開だなあと覚悟を決めたとき、主人が「子どもも大切だが、ここまで頑張った母親も大切だ」と言って、帝王切開を拒み、あげはの手を思いっきり押し込んで、元の位置に戻しました。
そして、無事、経腟分娩をすることができたのです。
私は主人の冷静な判断と神様の助けと、何よりも主人を見守ってくれた院長の佐久間先生に感謝しました。
あんまり苦しかったので、分娩直後は放心状態でした。
でも、おふろに入ったあげはを分娩台の上で初めて抱き、小さな息が私の頬に伝わってきたとき、いっぱい涙が出ました。これから一緒にいきていくんだなあ、よろしくね、そう思いました。
マタニティビクスを地元の人に紹介したい 実家の病院で診察をしていると、「マタニティビクスをしたいけれど、寒いし、ここは都会じゃないから」という妊婦さんの声をよく耳にします。
私は拓也の妊娠中にマタニティビクスを受講し、お産の直前まで毎日自宅で踊っていました。
おかげで腰痛も緩和され、便秘も解消しました。股関節のエクササイズをしっかりやっていたので、お産の時に足を開いた状態でいても太ももが震えずに済みました。
それで、「栃木の妊婦さんたちにもマタニティビクスを紹介したいな。そうだ、私がインストラクターになろう!」と思ったのです。思い立つとすぐ実行したくなる私は、さっそく短期集中インストラクター養成講座を受講。
朝9時から夜の8時まで、ダンスダンスの毎日。
産後2ヶ月だったので、おっぱいを搾乳して、トイレで捨てながら、ダンスと勉強に励みました。
試験は非常に難しかったですが、無事合格することができました。
現在、実家の病院にマタニティビクススタジオを建設中です。
あるときは白衣を着て、またあるときはエアロビクスのウエアーを着て、一人でも多くの妊婦さんのお役に立てるよう、常に前向きでいたいと思います。
次の目標は手話の出来る医師になること。頑張ります。
私たちのお産ストーリー(たまごクラブ6月号掲載)
2001年6月
寄せられたご意見ご感想
- 和みます。読んでいて先生たちの気持ちも伝わってきて、なんとなく安心できます。
- 女性の立場から物事を見・考え、私たちに伝えてくれる先生、心強いです。
- すごく面白かったです。長く続けていただきたいです。
- 今まででいちばん大変だったお産。困った妊婦さん。ご自分の出産はどうだったか? とても感動的な話の内容でした。誰もが自分のお産にベストを尽くしたいと願うもの。私も頑張ろうと勇気をもらいました。
- これから産婦人科はどうなっていくのか。先生の理想でもよいので聞きたいです。(精神面のフォローや、施設など)
- すごく楽しみです。赤ちゃんが生まれた時の感動を思い出す話ばかりで、出産が楽しみです。
- どんな出産方法でも子どもを産むということに、ムダという言葉はないと思った。
- 正直言うと、この質問の紙にP.153って書いてあるまで読んでなかったし、目を通さずに次のページへと進めていました。でも、読んでみたら感動のあまり涙。なにかママの気持ちが伝わってくるようで、とってもやさしい気持ちになれました。細かくてもきちんと読まなきゃ!と反省しました。たまごママ記者なのに。
- 医師として、また、1人の女性として、妊娠・出産についての考え方等書かれているほか、人とのふれあいも大切にされているんだナと純子先生の暖かさが伝わってきます。今月のお話も、とてもよかったです。
- なんかホッとする。ワンポイントリラックスも、いろいろ見直すいい企画。
- マタニティビクスのこととかも書いて欲しい。
- 先日、帝王切開で出産した友人は、2度目も帝王切開になりそうとのこと。陣痛とは別の痛みに耐えなければと言っていました。 出産経験のある女医さんが担当医だったら、心強いだろうなあと思いました。でも、その反面、厳しい部分もあるのかなとも思いました。 今回の記事を読んで、帝王切開もりっぱな出産だと思いました。
- 出産って本当に人それぞれ、十人十色ですね。もっといろいろな人のエピソードも紹介して欲しいし、ワンポイントリラックスのほのぼの感も好きです。
- VBACというのを初めて知りました。自然に産むって怖い事だと思っていたけど、ありがたい事なんだと感じました。素敵な話、ありがとうございます! 私も前回帝王切開だったので、すごく興味があります。
- 純子先生の年齢が近いので、親近感がわきます。今回のお話のように、産婦人科医でしかも女性の体験談がもっと聞きたいです。
- 年齢も近くて若い先生なのにすごいなあって思います。
- 私は自然に分娩した。やっぱり陣痛を我慢するのはすっごくつらかったけど、生まれてくれた後のあの喜びは痛みを耐えてからこそやと思う。
- 今回のお話、感動しました。やっぱり痛い思いをしてこそ、感動するものなんだと実感しました。 産婦人科の女医さんがお産を体験していることって、とっても大切だと思う。毎回、楽しみにしています
- VBACって初めて知った言葉です。私は無痛の予定だし、帝王切開の人も気にしなくていいのにと思いました。安全を優先してお産できればいいし、どれが○で、どれが×とかないですものね!!
- とても面白いです。 すごくいいお話だった。これからも、心温まるお話を聞かせて欲しい。
- 江里さんと私は同じキモチなんだと感動して、涙がポロリ。私も今度はどうしても経膣分娩で産みたい!!帝王切開でもいいんだけど力んで産んで、パパに横で「おめでとう」って言ってもらいたい。パパと2人で頑張りたいの!!江里さん、私も最後まであきらめませんよつつつつ。 先月のも今月のもなんだか感動的で、楽しみに読んでます。
- 郡山先生の人柄が伝わってくるエッセイでほのぼのします。
- 診察していて、つい応援したくなるのはどんな妊婦か、教えて欲しい。
- 先生は、いろんなお産に立ち会われると思います。十人十色、人それぞれ違うと思うんです。思い出に残る出産エピソードを連載して欲しいです。
- 読んでいて勇気づけられるので、次も楽しみ。
- お産を経験している先生だけに先生に診察してもらえたら、妊婦さんのことをよく分かってもらえそうで、いいなと思います。
- 出産ストーリってどれもジーンとくるものがあるけど、医師の方(しかも若い女医さん)の話なので、心にすっと溶ける“ジーン”で、とてもいいです。
- 年も若く女の人なので、親しみを感じます。いろいろなエピソードを楽しみにしています。
- なんかステキな先生だなあって、読んでいて伝わってきました。 今月もよかったです。
- 私も、「おめでとう」と言ってもらえた後の幸せな気持ちになれるかナ。楽しみです。
- あったかくてやさしい感じですね。 お医者さんから見た最近のパパとママの良いこと&こんなことにもう少し気をつけて、という話を教えて!
- VBACのことが印象に残りました。私が通っている病院もアクティブバースをやっています。妊婦が自分のお産について考え、意志を持つことは、とても大切だと思いました。
- プライバシーもあるでしょうが、現場ならではの具体的なお話が読みたいです。
- 純子先生の優しい人柄が伝わって、とてもいいと思います。同じ栃木県なので、より一層親しみを持っています。
- これからも、実際に診療にあたって思ったこととか、先生が困ったこととかを書いて欲しい。あと、最新の産科学会での発表とかのこととかも知りたい。
- 実際に子育て中の産婦人科の先生の声はいいですね。納得できるから。やっぱり出産してないと分かってもらえないことってありますから。
- 江里さんの「力んでみたいの…。」というのは、帝王切開の人が思うことが、すごく伝わってきた。リスクがあっても力んでみたいという気持ちにすごく感動した。
- まだ2回目だけど、これを読むとなぜかフト心が落ち着く。これからも楽しみにしています。
- お産のことだけではなく、いろいろ考えさせられました。次号も楽しみにしています。
- やっぱり、お産は痛みに耐えてがんばったという実感がほしいってみんな思っているんですね。でも、やも得ず帝王切開になってしまう人も多いのだから、どっちになっても無事に生まれてくれればと思いました。
- 先生ならではの話が読みたいです。(印象に残った出産。大変だった出産etc)
2001年5月
夫婦の証
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雪さんは、25歳の経産婦。4年前に男の子を出産しました。
生まれてからしばらくたって、その子がダウン症であることがわかり、夫婦で一生懸命育ててきたと言います。
今回の妊娠を互いの両親に伝えると、 「またダウン症だったらどうするの?」と、ものすごく心配され、自分の意志と言うよりは、家族の不安を少しでも取り除けたらという理由で、羊水検査を希望されました。
検査当日、妊娠16週の彼女は、「お願いします」そう言って目を閉じました。
おへその下あたりから、細長い針を刺して、約20ccの羊水を取ります。
その針で、赤ちゃんや胎盤を傷つけないように、超音波の画面を見ながら慎重に行いました。
「無事に終わりましたよ」
「ありがとうございます。お兄ちゃんが待ってるので、帰ります」
そう言ってその日は別れました。それから数週間後、染色体には問題がないことがわかり、ほっとしたと言っていました。
ある日、私はベビースイミングの一日体験に行きました。少し早く着いたので、前のクラスの見学もできました。
まだ幼稚園生くらいの小さな子ども達が、ママを意識しながら、スイスイ泳いでいます。
ママ達も、うん、うんとうなずきながら、真剣に我が子の飛び込みを見ています。
すごいなあと周りを見渡すと、「あれ、雪さん?」そうなのです。
大きなおなかの雪さんが、お兄ちゃんの応援をしていました。
プールの方を見ると、すぐにあの子がお兄ちゃんだとわかりました。
時々集中しては、ほとんどプールサイドを小走りで歩き回り、先生に誘われながら、プールを楽しんでいました。
でも、時々ポツリと1人でいる姿を見ると、切ない気持ちになってしまいます。
「お兄ちゃんも、弟のお荷物になることは、望んでいないはずです。だから、親として、できる限りのことをしてやろうと主人と話しています」
雪さんご夫婦の強い意志が感じられる言葉でした。 そして、
「純子先生、以前はあの子のことを隠そうとしたこともありましたが、隠したって何の解決にもならないんですよ。障害を隠すということは、自分も障害を持っている人を、どこかで差別していることになると気が付いたんです。人は誰でも年を重ねれば、不自由なところがだんだん出てくる。その事を子どもにも、しっかり理解してもらいたいのです」
そう言ってくれました。
「ムアムアー(ママー)!」お兄ちゃんが更衣室から出てきました。
おもいっきり抱きつく子どもを、ぎゅっと抱きしめる雪さんの横顔を見て、私は涙が止まりません。
自分の障害を正面から受けとめて、みんなと一緒に生きていく強さを持って欲しいという、母親の強い願いを感じました。そして、我が子の存在が何よりも宝物なんだという、雪さんの気持ちもよくわかりました。
子どもに自信を持たせるために、得意な物をつくってあげたいと願う親はたくさんいます。私もその1人でした。
でも、もっと大切な物があるのですね。
そう、それは、人とやさしくふれあうこと。
やさしくふれあうと、自然と自信がうまれてくるのですね。
雪さん、子ども達が大きくなって、「どういう子がそこに在るか」が、夫婦の証なんだと思います。
これからも、お互い、子どもと一緒に過ごす時間を大切にして、あたたかく、ゆっくりと、子どもの成長を見守っていきましょうね。 -
5月のワンポイントリラックス ★ ありがとう ★
毎月1回エッセイを書き続けて約1年。
妊婦さんが大好きだから、好きな人にラブレターを送るような気持ちで書きました。
どうしてこの10人の妊婦さんを選んだの?と聞かれることがあります。本当は、エッセイの中で言葉に残したい人がたくさんいます。でも、毎日の生活の中で、忙しくて心がほこりっぽくなった時や、うまくいかなくてしょんぼりしている時、これらの10人の妊婦さんが私を最も励ましてくれたのです。
「前向きに生きろ、先生!」と、背中をぐっと一押ししてくれたのです。
これからも、私自身、無理せず、自分の今ある喜びに感謝して、生きていきたいと思います。お元気で!
たまごクラブ2001/05月号掲載
2001年05月