たまご焼き
2010年7月~2013年8月
2回目の手術を終えて
-
5月9日、私は2回目の手術を受けました。
最後まで手術をすべきか考えて下さった主治医に、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。
「手術をどうしましょうか。」と言われた時に、「どうかお願いします。」と自然に言うことができました。
しかし、前回の術後の痛みがどうしても忘れられなくて、とても緊張してしまいました。
ですから手術の直前まで、皆さんから頂いたたくさんのお手紙を読み返し、自分を落ち着かせようと精一杯努力をしました。 おかげさまで無事に手術を終え、今は約1ヶ月ぶりに食事をとることができます。
食べるって、こんなに楽しい事なのですね。
実は全く覚えていないのですが(親友りえ先生も、外科の先生もおっしゃるので、嘘じゃないみたいです) 、麻酔が覚めた直後に、
「何でも食べてもいいよ。何が食べたい?」
と言われ、
「プリン」と。
「どこのプリンが食べたいの?」と聞かれ、
「セブンイレブン」と言ったそうです(笑)。
なぜにセブンイレブンなのでしょうね。自分でもおかしくて吹き出してしまいました。
今、私の便はおへその左側から出ます。場所は違っても、ちゃんと便が出てくれるので嬉しいです。
人工肛門のケアーは、まるで赤ちゃんのおむつ交換みたいな感じです。
これからは人工肛門を可愛がって、共に生きていきたいと思います。
そして、今日から化学療法が始まりました。午前中に抗がん剤が入った直後は、首を締め付けられるような苦しさがありましたが、今は楽になりました。 抗がん剤は癌にだけに効いて、私の正常細胞は傷つけないし、癌を消していってくれる。治る。そう信じています。
今までの自分は、大切な人を守りたいから、つきたくない嘘をついていました。
でも今回は自分の苦しかった事をきちんと伝える事ができました。 私、少し変わりました。
2011年5月19日
郡山純子 2011年05月19日
願いを叶えたい
-
癌は私にひょっこり訪れました。
癌が私を悩ませたのは、病気そのものではなく、その病気に対するイメージでした。
しかし、 「癌は純ちゃんの生活バランスの崩れを教えてくれる、恵みのメッセンジャーなんだよ」 と、親友ゆりが教えてくれてから、私は余計な恐怖がなくなり、リラックスを心がけ、希望を持って化学療法に向かっていけるようになりました。 また、素直に甘えさせてもらうことも学びました。
手術から3週間たった今、私はとても元気になりました。
毎朝5時から約1時間、院内を歩いています。私と同じように、力をつけたいとトレーニングをしている人はたくさんいます。 車椅子の人もいれば、点滴をしながらの人もいます。
背負った淋しさを隠しながら、すれ違うたびに、無意識に生まれる連帯感で挨拶を交わします。
病院の正面玄関に着くと、私は自動ドアの前で一歩踏み込み、自由な外の空気を吸おうと、しばらくそこにじっとします。私の心をつつみこんでくれる風の香は5月です。
実はまた食事を止めています。なぜなら、なかなかうまく便が肛門から出ないからです。
このまま自然治癒力を信じるか再手術をするかを先生方は考えて下さっています。
「私に再手術を受ける勇気はあるのかな。神様は何を私に試そうとしているのかな。」
本当は嫌なはずなのに、自分を強く見せたり、大丈夫なふりをしたり、どうして私はこんなに息苦しい生き方を選ぶのかと思ってしまいます。 そんな時、ママになりたいと願っているプレマタニティーの皆さんから、千羽鶴とお手紙を頂きました。胸が張り裂けそうなくらい嬉しくて、涙が止まりませんでした。
私は主治医に出会い、主治医を信じ、主治医にすがる思いで毎日を生きています。
プレマタニティーの皆さんが院長と私に思って下さる気持ちと同じように。
今井美樹さんが「本当は誰もが願いを叶えたいの」と歌うように、待つべきか手術を受けるべきか、正しい答えなんてないのかもしれない。 でもあきらめたくないから、希望を持って今日も歩いてきます。
2011年5月5日
主治医を信じてる。
郡山純子 2011年05月05日
手術
-
4月12日(手術前日)には強い地震がありました。
私は運動靴に履きかえて、点滴台をかついで部屋から飛び出しました。
震える入院患者さん達を励ましながら、自分が患者であることをすっかり忘れていました。
電話がやっとつながり、草崎主任から石塚産婦人科の患者さん達も皆無事である事を確認でき、ほっとしました。
落ち着いたため部屋に帰ると、いとこがくれた御札も娘が書いてくれた書道の『希』も全部倒れていました。
「明日は手術中に地震がありませんように。」
秘書からもらったペンダントにお祈りをしながら眠りました。
4月13日(手術当日)は娘と院長と共に長い長い午前中を過ごしました。
弱音や泣き言を一度も言わない子供達の精神力には驚きますが、やはり疲れていたのでしょう。
娘は私のベッドで寝てしまいました。 12時半、いよいよ定刻どおりに手術室へ移動。
手術室には同級生のりえ先生がいてくれました。
「大丈夫。ずーっと純ちゃんの手術を見守るからね。」
そこからの記憶はありません。目が覚めると手術は終わっていて、新しい自分に変わっていました。
手術2日後までは激痛との戦いでした。
しかし、つらい時間も嫌な時間もきっと終わりがあると信じて痛みに耐えました。
なぜならば、これからも生きていきたいから。
試練かもしれないけれど。
自分の持っている全ての力と、家族と仲間のものすごい応援と医学を信じて乗り越えました。
今日17日ぶりに、お食事を頂くことができました。
おいしくて、嬉しくて、おもゆと、だし汁を大切に頂きました。
4月21日
郡山純子
〈追伸〉 ブログを見て下さいましたたくさんの患者さんから、数えきれない程の「頑張ってメッセージ」を頂きました。 術後しばらくは麻薬を使って痛みをコントロールしていたため、ぼーっとしていましたが、院長が全部読んでくれたので、皆さんのお顔を思い浮かべながら、涙しました。
今を生きなくては、生きる時がない。 大切なのは、今、この瞬間。そう思えました。
ありがとう皆さん! 2011年04月21日