初盆を迎えて
純子先生のエッセイ最終話
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このブログの主、「純子先生」は、平成25年3月25日、帰らぬ人となりました。43歳の誕生日を終えてすぐのことでした。
長らくこのブログを愛してくださった皆様、ありがとうございます。
私は、石塚産婦人科院長で純子の夫 郡山智です。
主が亡くなったブログがそのままになっているのは悲しいものです。つたない文章ですが締めを綴らせていただきます。
平成24年12月14日、前回の「常套句」アップ以降の約1ヶ月が家族4人最後の生活でした。年末から正月、ごくごく平穏に、幸せな生活を送ることができました。
その生活に終わりを告げたのは、年が明けた1月17日。今までに無い腹痛と発熱で緊急入院。画像診断により、病状がかなり進行していることがわかりました。 病魔は、一見おとなしそうにしていながらも、着実に歩みを進めていました。
治療により症状は一旦落ち着きましたが、間もなく癌の痛みが始まりました。ここまで来るとガンを治す治療はもはや不可能です。
残された時間あとどれくらいかな。
それでも純子は笑顔を忘れませんでした。残された力を振り絞って。 いつもの純子でした。
最後の最後を除いては。
最後の最後は、どうだったか・・・。 それは私たち、家族だけのもので、到底ここに書くことはできません。 ガンで死ぬこと。
悲しいことですが、私は決して否定的には思いません。
多くの方がガンで死を迎えます。
数十年したら、人類の英知はガンを克服できるかも知れない、という話を聞いたことがあります。
でも本当にそんなことができるのでしょうか。
純子が最後に使用した薬も、生存期間をいくらか延ばすことができるだけです。
残念ながら、人の力ではどうにもできないことがあると思います。
でも、医療の進歩のおかげで、ガンになってからの生活は昔と比べて改善しています。
発病してから最後を迎えるまでの2年の大部分は、幸せな生活でした。
日常の生活ができること。
家で家族と過ごすこと。
母であり、妻でいられること。
貴重な輝いた時間を過ごすことができました。
これはもちろん本人のがんばりもありましたが、医療の恩恵でもあります。
それと、支えてくださった皆様のおかげです。ありがとうございます。
進行癌になると、患者と家族は常に死を意識し続けます。でも死を意識することでしか得られない何か、が私たち家族を成長させてくれた様にも思います。
そうしながら、ゆっくりと最期を迎えました。
ガンで死を迎えること、ゆっくりと死を意識していくこと、そして死を受け入れて行くこと。
そうした時間のなかに、その人の人生を織り込めることができるという点に、ガンで最期を迎えることの意味があると思うのです。
最後に過ごした時間、純子からの私たちへのかけがえの無い贈り物です。
今日は8月13日、初盆です。
初日なのでお客様も少なく、のんびりと純子のこと思っています。
この時間を待っていました。
これを書くことが私の役目と、ずっと思ってきました。
子供が、夏休みの宿題を一生懸命やっているのに刺激され、自分もやっと書くことができました。
思えば、辛い日々でした。でも、病院に出て新しい命の誕生に関わることで、救われました。
辛い仕事ですが、この仕事をしていて良かったと今まで以上に思うことができました。
だから、うちに来てくれた患者様、みなさん本当にありがとうございます。
「風立ちぬ」
観てきました。
子供たちをディズニーランドに連れていった時、自分だけイクスピアリの映画館で羽のばしです。 純子が逝って以来、初めての遠出です。
新妻が亡くなってしまうとても切ないお話でした。特に今の自分にとっては。
でも映画のおかげなのか、ひとつ良いことがありました。
その夜、純子が夢に現れました。
「また会えたね、これからも会えるよね。」と幸せな気持ちになれる夢でした。
この映画のエンディング「ひこうき雲」は、私の大好きな曲です。
自分の世代の宝物、と勝手に思っています。おそらく、自分が生涯聞いた回数ランキングで1位かも知れません。これほど完璧な曲はそうありません。
特に曲の最後に現れるベースの旋律が大好きです。
最後の旋律が生み出す余韻で、また聞きたいと思わせる曲です。
実際、アルバムの最後にはもう一回この曲が出てきます。それも曲の最初の部分だけでフェードアウトします。神の技です。
皆さんも機会があったらアルバムを通して聞いてみて下さいね。
ほかのひとには わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど・・・・
ひこうき雲 聞きながら 過ごす 静かな お盆でした。 -
2013年08月16日