たまごクラブダイアリー
2001年
小さな手
世の中には、妊娠しても育たない「不育症」という人がいます。
私の親友の妹、ななちゃんもそのひとり。
1回目の妊娠の時は、赤ちゃんの袋の中に赤ちゃんが見えても大きくならず、二回目の妊娠の時は、大きくなったのに、突然心臓が止まってしまいました。
「妊娠している人を見ると、後ろから突き飛ばしたくなっちゃう」
「会計を待っている時、赤ちゃんの声が聞こえると気が狂いそうになる自分がいやだ」
そんな言葉を聞くたびに、胸が張り裂けそうになりましたが、 「大丈夫、あきらめないでがんばろうね」と、応援してきました。
2回の流産の後、少し落ち着いた彼女は、不育症の検査を希望しました。
その結果、何の異常もなかったので、当然喜んでくれると思い、すぐに電話をして「よかったね」と言うと、しばらくの沈黙の後に返ってきた言葉は、 「悪いところがあればよかったな、そこを治せば妊娠するのに。」でした。
それは、「あなたに何がわかるの?全然わかってないじゃない。」そう言われるのと同じくらいつらく、自分はデリカシーのないドクターなんだなあと、私は落ち込みました。
その半年後、彼女は妊娠。 「三回目、今度こそがんばります」 そうメールに書いてあり、今度こそ絶対出産させてあげたい!と身が引き締まりました。
妊娠初期の彼女は、下着に血がついてないかとトイレの度に不安になり、つわりが楽になると、赤ちゃんが死んじゃったんじゃないかと心配で。
そのつど「大丈夫よ。一緒にがんばっていこうね」と励ましてきました。
今まで越えられなかった妊娠12週を迎えた時は、「12週のハードル突破!」と、手を取り合って喜びあいました。 そして、妊娠39週の日曜日、互いの両親とお姉ちゃんとご主人に励まされながら、女の子を出産しました。
残念なことに、その日、私は那須で仕事をしていたため、病院に行けませんでした。 しかし、主人が当直医だったので、お産に立ち会った時のことや、元気な赤ちゃんの事を電話で聞くことができ、ほっとしたものです。
そして、那須から帰り、産後4日目の彼女に会いに行くと、 「本当に先生ありがとうございました。先生のおかげです。」 そう言って、赤ちゃん用のガーゼを嬉しそうにきちんとたたんでいました。その手つきの優しさは、母性をごく自然に感じさせました。
「ベビ子ちゃんね、おっぱいが大好きなんですよ。おっぱいが痛くて涙です。」
「涙かあ。」
その時、はかりしれない苦労がちらりと、彼女の顔を横ぎったようでした。
おっぱいをあげる喜び、おむつをかえる喜び。
けれども、そこに至るまでには、数えきれない涙があった。でも、決して涙を見せなかったところが、彼女のすばらしいところだったのです。
彼女の妊娠・出産を通して、子どもを二人出産しただけでは、まだまだわからないことがたくさんあるんだと、私は自分の未熟さを痛感しました。
流産した人の気持ちは、流産した人にしかわからない。そうかもしれません。
でも、その人達がふっと休みたい時に休めるような、静かな宿り木でありたいと思いました。
そのためにも、私自身が元気で健康でいなければなりませんね。
ななちゃん、元気ですか?
赤ちゃんの手をみてごらん?小さなその手には、どんな未来を握っているんだろうね。
ねえ、赤ちゃんの顔を見てごらん?エンジェルスマイルしてるでしょ。
あなたが失ったものや、流した涙が、いつか幸せをよんでくれるって信じていたよね。
その幸せが、この子なんだよ。
長かったようで短かった出産までの思い出を胸に、21世紀という新しいページをゆっくりと歩いていこうね。本当におめでとう。-
1月のワンポイントリラック ★ 公園 ★
私は近所の白幡天神公園に、よく行きます。ベンチに座って足もとを見ると、思いがけなく小さな花が咲いていて、びっくりしたり、母子のやさしい会話に胸があったかくなったり。
この間は、あやとりをしている子がいてね。その姿をみて、自分と母親の昔の姿を重ね、懐かしくなりました。私は、心に潤いを与えてくれる公園が大好きです。
たまごクラブ2001/01月号掲載
2001年1月
it’s mine(ぼくの妹だよね)
- アフジャさんは、インド人です。奥さんの亜美さんとの間に、6歳の平君がいます。
平君が東京の助産院で生まれた時、アフジャさんは立ち会い分娩をしたそうです。今回も立ち会い分娩をしたいとのことで、妊娠後期の両親学級に来てくれました。
学級が終わり、みんなでランチを食べていると、アフジャさんは、
「平は、4kgもある大きい子、2日かかった。大変だった。何もわからなかった。でも、今日よくわかった。ありがとう。」 と。そして亜美さんは、
「親戚も近くにいないし、つい最近実の母も亡くなったので、不安がいっぱいでしたが、学級に来て、自分の母親に色々と教えてもらっているようで、すごく安心しました。」
そう言って微笑んでくれました。この家族は、3人で出産するんだなあ、なんとか応援したいなあ。そう思いながらその日はお別れしました。
それから2週間後、亜美さんは夜中に陣発し、家族一緒に入院。ファミリールームで平君は、ママが陣痛をこらえているところをずっと見守っていました。時々うとうとしてママのベッドに横になっていましたが、いよいよお産が近づくと、平君もアフジャさんと一緒になって亜美さんを応援していました。
「アフジャさんのお産になります。お願いします。」 とナースからコールを受けたのは、朝の4時。急いで分娩室に行くと、アフジャさんが白衣を着て、立ち会っています。
「さあ、がんばりましょうね。」 と言って、手袋をはめようとした時、小さな足が亜美さんの大きなおなかの横に見えました。
「あれっ、平君?」 そうなんです。パジャマを着て、にっこり笑って私を見るんです。正直言って驚きました。
「いいのかしら、怖くないのかな。」 そう思いましたが、アフジャさんがぎゅっと平君のことを抱きしめて、 「stay here(ここにいなさい)」 と言うのです。
亜美さんのがんばりで、4300gの大きな女の子が生まれました。へその緒を切って、胎脂でべたべたの赤ちゃんを見せると、アフジャさんは
「kiss the baby(キスしてあげて)」 そう平君に言いました。すると、
「it’s mine(ぼくの妹だよね)」 そう言って、平君は花びらにキスをするように、可愛い小さな唇をつきだしたのです。
今日、1ヶ月健診に家族そろって来てくれました。花音(カノン)ちゃんは、5300gになり、まんまる元気いっぱいでした。平君は、花音ちゃんを抱っこして、なんだかちょっとお兄ちゃん風をふかせています。 兄弟ができるって、素敵なことですね。お互いが助け合って、譲りあって。
でも、兄弟がいて、本当によかったと思えるには、ずいぶん時間がかかります。だって、上の子にとっての初めての試練、ライバルができるのですから。
でも、平君は大丈夫。パパやママに一人前だと認められたことが、誇りになって、がんばることができるよね。 ママがあきらめないでがんばったこと、みんなで出産したこと、これらの貴重な経験から、あきらめない心、がんばる心、家族を思いやる心が大切なんだと、パパは伝えたかったんだよ。
命の重さを抱っこして、メリークリスマス! - 12月のワンポイントリラック ★ クリスマスリース ★
那須のおしゃれな花屋「きんぐさり」から、とっておきのリース作りです。
まず、枝 や落ち葉や実を集めて秘密の小箱に入れておく。枝を四角に組み、交差する部分をワイヤーでとめる。麻ひもやきれいなリボンでワイヤーをカバー。
小箱から好きな物を取り出して、思い出やドラマと一緒にリースに飾るの。二人の写真をはってもいいね。
たまごクラブ2000/12月号掲載
2000年12月
母は強し
- 「真理子さんどうしたのかしら?」そう思ったのは2カ月前のことです。
妊娠後期の検診は、週に1回だと伝えたはずなのに、1カ月も来院しませんでした。
久々に会った彼女は、 「すみません、身内に不幸があったものですから」 と言っただけで、それ以上話をされることはありません。だから、いつも通りに診察し、次の検診日を伝えて別れました。
しかしその次の日、検診日を待たずに陣発し、実のお母さんと夜中に来院。子宮口は2cm開いていて、よい痛みも来ていたので入院となりました。 実のお母さんは60歳くらい。小柄で優しそうなかたです。でも、陣痛をのりきるために、必死に娘の腰をさする姿は、どこにそんなパワーがあるのだろうと思うほど力強い。
「ほらもう少しだから、がんばりなさいよ!」
「母は強し、母は強し!」
娘の腰をさすって励まして、お母さんの手のひらは真っ赤でした。
その後とても順調で、入院して10時間後に可愛い女の子を出産。母娘二人三脚のお産でした。
「おめでとうございました。元気いっぱいのお孫さんですね。」 そう言うと、お母さんは少し疲れた表情で
「ありがとうございました。実は娘は夫を亡くしまして。」と。
まさか、ご主人が交通事故で亡くなったと、誰が想像できたでしょうか?
あともう少しで出産予定日だったのに、子どもが元気に育って欲しいと願いつつ、別の世界の人になってしまったなんて。 お産後の彼女に会いに行った時、生まれたての赤ちゃんと仲良く遊んでいたし、とにかく明るかったので、私からどうしても切り出せずに終わってしまいました。
でも、主治医として私が察することが出来なかったことを、一言謝りたいと思い、勇気を持って退院の前に言いました。
「どんなにつらかったでしょう。何も知らずごめんなさい。」 すると彼女は
「立ち止まっているわけにはいかないんです。これは運命だから。」 と。
私は、色々と話をしたいと思える環境を、彼女につくってあげられなかったことを悔やみましたが、
「そうじゃないよ先生。悲しみに浸っている余裕なんてないのよ。自分だってそんなに強くないから、この人生をどうやって受け止めたらいいのか不安だったし、死を受け入れられなかったけど、もう大丈夫だから。シングルマザーの一員です。」
そう言って微笑んでくれました。
母親はみな、子どものためには強くなれるものですね。真理子さんのお母さんは、強い愛情を持って娘を支えていくのでしょう。そして、彼女もまた、娘のためにがんばるのでしょう。
一生かかっても返しきれない程の恩を、母親から受け取るばかりで返すことができないなと、いつも私自身思っていますが、返せないぶん、自分の子どもにしてあげなさいと母親から言われたことを思い出しました。
真理子さんが明るいのは、嘘じゃない。自分に与えられた運命だから、そこで精一杯母親として生きていかなければならない。シングルマザーであることに逃げないで、「シングルマザーでもいい」と認めたことから始まる。母は強しという言葉をこれ程強く感じたことはありませんでした。
真理子さん、出産し、子どもとともに生きるって素敵なことです。そして育児で忙しいぶん、ご主人のことを思い出す時間が少なくなって、もしかしたら救われるのかもしれません。
でもね、街ですれ違う男の人のにおい、ラジオから流れてくる音楽。。。ふとした瞬間に昔を思い出し、涙が急にあふれた時は、おもいっきり泣いて下さい。
どこにこんなに涙がたまっていたのかと思うくらい泣いて泣いて、そして落ち着いたら、またがんばる。その連続でいて欲しいと思います。疲れたら休む、これは大事なことです。
苦しみも悲しみもしっかり受け止め、楽しみもそのまま楽しむ。
「今を生きる」という大切なことを教えてくれた真理子さん、頑張って!頑張って! -
11月のワンポイントリラック ★ バスタイム ★
私は6年間山形で大学生活を送りました。寒い毎日、1人暮らしの私を励ましてくれたのは、あったかいお風呂でした。ぬるめのお湯にたっぷりとつかり、好きな本や紅茶を持ち込んで。
特に疲れた夜は、ラベンダーのアロマオイルをポトンポトン。
するとなんだか胸にぽっと灯りがともるようで、ゆっくり眠れました。
みなさんも、ほっと一息、素敵なバスタイムを楽しんでね。きっと明日は元気になれるよ。
たまごクラブ2000/11月号掲載
2000年11月