親子の絆
2009年
胎内記憶
- 私達が思い出そうとして思い出せる記憶は、せいぜい三歳くらいまでであろうか。
通常それ以上過去にさかのぼることは難しいような気がする。
今日はソフトマタニティビクスにいらっしゃった妊婦さん達と、一番古い記憶を思い出してみた。
皆さん実におもしろい思い出をお話下さった。
「お父さんとお風呂に入った時におぼれてしまった」とか、
「迷子になってしまい、自分で帰り道を帰ってしまった」とか。
私は正直なところ、三歳よりも古い記憶は存在しないし、記憶そのものが作られていないと思っていた。 しかし、乳幼児期の記憶から、さらには出生時の記憶、そして母胎内の記憶まで、人は誰でもそうした記憶を持っているのだと。そして、二歳から四歳くらいまでの子供達は、催眠法を使わなくてもふとした機会にその思い出を思い出すことができるのだと。
今日レッスンに来てくれた聖子ちゃんは、
「ママのおなかの中ですいすい泳いでいたよ」またみえちゃんは、
「ママのおなかの中はぬるかった」とお話してくれた。
いずれも2歳のお姉ちゃんだ。赤ちゃんはおなかの中でママのことを思い、この世はどんな世界なんだろうとたくさんの夢や希望を持って生まれてくる。
だからこそ、妊娠したかなと思ったときから、赤ちゃんを意識して信じてあげることが大切なのではなかろうか。 私の子供達には胎内記憶がなかった。というか、彼女らにその記憶を聞いてみようと思った時が遅かったので、残念ながら私のおなかの中での思い出を話してくれることはなかった。
しかし昨晩質問してみると、お母さんにおんぶしてもらっている時が一番気持ちよかったのだそうだ。 そして突然私の背中にジャンプしてきたが、いや~重かった。
何キロなの?と聞くと40キロ近いらしい。
命の重さを感じるとともに、私はこの長い11年間の育児を振り返った。
娘と一緒におでかけすると、なんだかいつも、寄り道したくなった。
樹木の若芽、土のにおい、空の色、何を見ても楽しかった。そしてそのやわらかい時間の中で、ゆったりと大きくなって欲しいなあと思っていた。
出産して子どもを持つと、こういう何気ない時間がとても増えた。
独身時代に比べると、行動範囲は狭くなったし地味な生活になったが、それでも子どもの存在は次々と新しい場所へ連れてってくれる。
「ママを選んで生まれてきたんだよ。ママに会えて本当によかった。」
と、どの子もそう思い、毎日ママを追い求めて大きくなるのだそうだ。
子育ては忍耐の連続であるが、こんな風に思ってくれる子供達の愛に感謝しようと思う。
そして古い体質の政治から、新しい政治が始まる今、変革の道を選んだ我々の勇気と大きな期待をうらぎることがないように願っている。
これからの子供達が、心豊かに育つことができる日本になるために。
2009年9月2日
新年に思うこと
-
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
私のカルテはなるべく患者さんがわかるように書いている。
難しい言葉やドイツ語を書くことがかっこいいと思っていた頃もあった。
しかし今は、どれだけ難しい言葉を用いずにわかりやすく説明できるかを心がけている。言葉の壁を低くすることは大切だ。今までの人生の中で、言葉の壁を感じたことが2回ある。
1回目は医師になって1年目の時だ。木偶の坊と呼ばれながらも疲れも知らずに働き続けた慶應時代は、今でも時々夢をみるくらいの過酷な毎日だった。
医療現場の多忙からストレスがピークとなると、先輩医師のストレス解消の矛先は我々フレッシュマンに向くのだ。
仕事が終わり真夜中に食事に行く。空腹にビールを飲むと、とたんに質問攻撃となるわけだ。
「こんな時どうする?」などと優しく質問がくるのだが、私はうまく答えられない。こっちも疲れと睡魔が邪魔してうまく答えようとしても答えられないのだ。
そうなると、先輩医師は「こうだろ!」と言わんばかりに攻めてくる。専門用語や略語が多すぎて、私にはその内容の1%すらも理解できなかった。もう少しやさしい言葉で教えてくれたらいいのに・・・と思ったものだった。
そして私の勉強不足、努力不足なのかなあと落ち込んだものだった。2回目は去年のモスクワに行った時だ。何も悪いことをしていないのに、ジュース1本買うだけでもレジの女性は怒っている。
笑顔の大切さをつくづく感じた。また、当然使えると思っていたカードが使えず持っていった現地のお金も底つきてきた時、スーパーで買い物をしようと思っても英語は通じなかった。
もちろんロシア語は記号にしか見えない。誰か助けて~と思ったけれど、無表情なロシアの人がどうして助けてくれるだろうか。ただただ不安で怖かった。今日は2009年の初仕事の日。
あけおめことよろ~などと言う若い妊婦さんや、今年の目標を語る80歳のおばあさんなどたくさんのかたに出会った。
しかし、最後の患者さんはとても震えていらっしゃった。
どうしましたか?とたずねると、
「前の病院では、うまく先生とコミュニケーションがとれなかったので転院してきました。」と。
どうしたの?と伺うと、
「先生が言っていることがわからない。わからないから説明しなおして欲しいなど言えるような状態じゃない。忙しそうにして、私を拒否している。」と。多かれ少なかれどんな患者さんも医師との会話の中で、不安と緊張を感じているはずだ。
その結果「白衣高血圧」とよばれるような、白衣を見るだけで血圧が上がってしまう人もいるのだ。優しい笑顔とわかりやすい言葉、そしてその上に医師やスタッフの心の温かみが加われば、患者さんの不安は解消されるのではなかろうか。
その昔「病気に対するお薬は、先生の笑顔。私のビタミン剤よ。」と言ってくれた患者さんがいる。
その時から、病気に対する一番の処方は希望と笑顔だと私は信じている。今年もたくさんの患者さんとの出会いを大切にしたいと思う。
そして自分にできることは何でもさせて頂きたいと思っている。医療現場の多忙の中でも、温かみに裏打ちされたカルテや言葉は「わかりやすさ」を超えて、患者さんを支える力になると信じているから。
2000年09月
抱きしめて育児
-
カンガルーケアとは母親の胸で赤ちゃんを包み込み、バスタオルや毛布をかけて生まれたての赤ちゃんと過ごすという、ただそれだけの簡単な方法である。
1979年にコロンビアで考案された緊急措置で、経済危機によって生じた育児破棄、保育器不足という大変な状況の中で始まった方法だ。
赤ちゃんは子宮外での生活に適応するまでには時間がかかり、とても緊張している。
目をぱっちり開けて、少々不安そうに周りを見る。まぶしいためか額にしわをよせ、しょっぱい顔をする。
でも、そんな赤ちゃんもお母さんの胸の上でやさしく抱きかかえられ、やわらかい口調で語りかけられると、自然に緊張がとけはじめ、皮膚の色はピンク色に変わり、穏やかな顔で瞳を閉じる。
乳房をふくんでちゅっちゅと音をたてながらおっぱいを楽しむ赤ちゃんとその赤ちゃんを見ているお母さんの微笑を見ていると、私は最高の幸せを感じる。お産をやめてしまう産院が増えている中、現場で働き続けている意味は何なのか、なかなか見出せないと思うときもあるかもしれない。
自分たちが社会から正しく評価されているか、「訴える」などと言われる診療現場では、多くの新米医師たちがこのすばらしい生命の誕生の場を去っていくのは仕方がないのかもしれない。
でも、今だからこそ私が思うのは、ひとつひとつのお産にまっすぐに向かい合い、赤ちゃんが生まれてくるその場所に、「ただよりそう」という気持ちを忘れなければ、きっと家族と一つになり、医療の意味、働く我々の役割を見出せるのではないだろうか。うちの息子は寝ている間になんども「ちゅっちゅ、ちゅっちゅ」と口を動かしておっぱいを飲んでいるような音をたてる。たいていそういう時に拓也の顔を見ると、満足そうに笑っている。おもしろいなあと思っていても、あえて家族の中の会話には出さなかった。
今週末から私は子供を連れてサンフランシスコへ学会に行く。(学校を休めるものだから、子供達はものすごく喜んでいる。)
「お母さんが頑張るところをちゃんと見てね。」と言うと、拓也が「ちゅっちゅ」と口をもぐもぐしていた。
あげはが「たっくんてさ、いつも寝ている時にそうするよね。」と言うのでびっくりした。
「やっぱり知ってた?お母さんもずっと思ってたの。」と言うと、「嬉しいとこうなるし、なんか安心するんだよね~。」と拓也が照れくさそうに言っていた。
実は、そういう拓也は母乳をほとんど飲んでいない。一人目の時とは違って、私のおっぱいは全然でなかった。
ものすごく悲しかった。しかしミルクをあげる時に、精一杯おっぱいをあげるのと同じように、おっぱいを彼の頬にくっつけて抱いて見つめてミルクをあげた。今日、この話を産後のママに話してみた。
「私のおっぱいが出ないから、ミルクだと愛情や免疫が伝わらないのではないかなと苦しくて。」
と私の外来で涙をたくさん流されたからだ。
「そんなことないわよ。あなたの気持ちはちゃんと赤ちゃんに伝わっているはずだから。」
そう伝えると、そのママは
「うちの子も、大きくなったらちゅっちゅって寝ながら幸せそうにしますかね。」
と言って微笑んで帰られた。「まず抱きしめる。」これが何よりも大切な気がしませんか?
だから私は、子供がやめろよと嫌がっても、何歳になろうとも、抱きしめてやるぞ!
覚悟しろ、拓也!!
2008年11月5日